1980年のサンバタの倒産は、日本のバドミントン業界に大きな影響を与えました。
サンバタの倒産により、バドミントンラケットの製造・販売は連鎖倒産の危機に直面しました。
しかし、米山稔氏はこの危機を乗り越え、ヨネックス株式会社を設立し、バドミントンラケットの製造・販売を再開しました。
米山氏は、世界中の選手にヨネックスのラケットを使用してもらうために、世界戦略を展開し、特にインドネシアの高校生選手ルディー・ハルトノとの契約を交渉し、彼をヨネックスの専属契約者にしました。
この契約により、ハルトノはヨネックスのラケットで全英オープン選手権6連覇、7連覇を果たしました。
サンバタの倒産はヨネックス創業の契機となり、独自ブランドでのラケット製造・販売を開始するきっかけとなった。
<サンバタ倒産の背景と影響>
サンバタ社は、かつて全国的にバドミントン用具を販売していた企業でしたが、1980年に倒産しました。
この倒産は、下請けとしてラケット製造を行っていた米山稔氏にとって大きな危機となりましたが、逆に独自ブランドでの事業展開を決意する契機となりました。
当時の日本経済はオイルショック後の影響を受けつつも成長期にあり、企業倒産は景気循環の遅行指標としても顕著でした。
<まとめ>
1980年のサンバタ倒産は一見危機でしたが、米山稔氏にとっては独自ブランドでの事業展開を促す転機となり、ヨネックスの創業と国際的成功につながりました。
また、当時の倒産状況は日本経済の景気循環や企業の資金調達状況とも密接に関連していました。
残念ながら、サンバタは1980年に倒産したようですが、父は学生時代(1950年頃)に、サンバタ社製シャトルの試打を依頼されていた、と聞いたことがあり、私自身も親しみを持っていました。
私が高校生の時(1980年代)に、サンバタ社製の「クイーン(Queen)」というシャトル(下記画像のような、水色とレモン色の筒入りで販売されていた)を使用していたので、ヨネックスの社史に記載されている「1961年にサンバタ社が倒産…」は明らかに間違っていると言わざるを得ない。
1980年代にサンバタのシャトルが販売されていたことを証明するためには、1980年などの「バドミントン・マガジン」にサンバタの広告が掲載されていたものを見つけたいと思っています。1980年頃のバドミントン・マガジンをお持ちの方。サンバタの広告が載っていたことを証明するためにご協力をお願い致します。
これは、サンバタ社製のトレーニングというシャトル。



