同学年の旧友と再会したい

一昨日、私と同学年で全道高体連大会で優勝し、その後、札幌大学のバドミントンを強くしたH川さんから電話をいただき、あまりに懐かしくて嬉しくて2時間以上も話してしまいました。

彼とは、大学入学前に1年通った札幌予備学院(当時の予備校名)で偶然見かけ、彼を全道大会での活躍を見ていたので私から声をかけてから仲良くなりました。
その予備校には、偶然が重なり、全道大会で活躍していた同期が数名揃って、当時、予備校にあった体育館でバドミントンをして遊んだり、同じ大学を受験したりと、仲良くしていました。
<ご参考>高体連大会 男子(個人戦、北海道予選)=第33回大会(昭和56年)にH川さん(当時、高3)の優勝(単)が記録されています。

一浪して札幌大学へ入学した彼の功績は素晴らしく、北海道内の大学対抗団体戦のリーグ戦で、札幌大学が初優勝したときのメンバー(当時、2年生)で、その後の7連覇の原動力になっていたようです。

彼は、大学卒業後も仕事の赴任先でバドミントンを続けていましたが、約20年前にアキレス腱を切って以来バドミントンから離れていたようです。

最近になってバドミントンを再開したとのことですが、20年もバドミントンをしていなかったし、私と同学年なので、すでに当時のような動きはできず、ご自身でも笑ってしまうくらいコロがりながらのプレーしかできない、と話していました。

それでも、彼の高校時代の恩師のK山先生(当時、札幌手稲高校教諭)から受けた練習方法や考え方などを話してくれ、当時、スパルタだった指導のお陰で「こんな自分でも、そこそこ活躍できた」と感謝をしていました。
ただ、K山先生のスパルタ教育について行けなかった仲間が多く、30人いた同期が3人にまで減って、そこそこ上手い同期がいなくなったことで高校の団体戦では結果を残せなかったとも。

大学では、自分が高校でやってきたことを札幌大学でも実行したことで、札大が強くなった、とも話していました。
しかし、その練習方法は、今の時代には受け入れられないスパルタでしたので、当時の後輩は自分のことを怖がったかもしれない、とも。

そんな彼ですが、自身がプレーできなくなっている今でも、バドミントンに対する考え方、練習方法、トレーニング方法、試合の進め方などの経験は、いまでも活かせる部分が多くあり、とても興味深い話を聞くことができました。

年明けには札幌へ戻ってくるらしいので、一緒に飲みに行くなどして、彼の武勇伝をもっと聞かせてもらおうと思っています。

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